💬「少し前の話だが経済学者・成田悠輔氏の投稿に同意している」
経済学者・成田悠輔氏(40)が5日に自身のX(旧ツイッター)を更新し、現在の日本について思うことを語った。 成田氏は「日本は権力者のいない国。政治を支配するラスボスはおらず、総理大臣でもおにぎりの食べ方で庶民にあざけ笑われる。芸能界の頂点に見えた人も週刊誌の記事ごときで即死する」とポスト。
この成田悠輔氏のポスト、端的に言えば「日本は支配構造が曖昧で、強いリーダーもいなければ、権力者も庶民から容赦なく笑い飛ばされる社会だ」と皮肉っているわけです。
投稿内容を噛み砕くと:
◆要点整理:
- 「権力者のいない国」
→ 実質的なリーダー不在。誰かが主導するというより、全体でなんとなく流れていく“空気の民主主義”。 - 「政治を支配するラスボスはいない」
→ 米国のような強大な大統領も、中国のような一党独裁もない。総理ですら“決められない政治”に翻弄されている。 - 「総理大臣でもおにぎりの食べ方で笑われる」
→ 日本では政治家の中身よりも“イメージ”や“言動の細部”で叩かれる。内容より様式、実績より失言。 - 「芸能界の頂点も週刊誌で即死」
→ 芸能人も絶対的なスターではなく、スキャンダル1つで地に落ちる。つまり“庶民感覚”の前には全ての権威が無力。
◆背景にある批判や視点:
- 権威の軽視
政治家も芸能人も「偉そうにしてはいけない」という空気が強く、結果としてリーダー不在の空気社会になる。 - リスク社会・同調圧力
「間違ったら終わり」「目立ったら叩かれる」空気が漂っており、個人は大胆な行動に出にくい。 - ポピュリズム的な社会構造
人気がすべて。権力者でさえ「ウケのいいこと」を言わなければならない。これは統治の安定性に疑問符をつける。
◆まとめると:
- 成田氏の発言は、「日本の社会は空気とイメージで動くリーダー不在国家」という現代風刺。
- それは同時に、リーダーの弱体化、言葉狩り、目立つ者への過剰攻撃といった“閉塞感”の表れでもある。
- 「誰かが変えてくれる」時代じゃないからこそ、自分が動く必要がある…というメッセージにも読み替えられる。
🤷♂️💭「結局何も決められない国になってしまった」
まさに、それが成田悠輔氏の指摘の核心です。
結局「何も決められない国」になった日本
◆なぜ何も決められないのか?
- リーダーが怖がっている
失言・炎上・支持率の低下を恐れて、「誰かに嫌われる決断」ができない。だから多数派の顔色をうかがう“八方美人政治”が横行。 - 空気が支配する社会
ルールや制度ではなく、なんとなくの“空気”が判断基準。だから論理やビジョンでは動けない。 - 失敗への過剰反応
「挑戦して失敗した人」を賞賛せず、「やらかした」と即バッシング。だから誰も冒険しなくなる。 - 庶民の視線が強すぎる
政治家も芸能人も「庶民の機嫌取り」が最優先。人気取りに奔走し、本質的な改革には踏み込めない。
◆結果:「決断しない」が最適解になってしまった
- 何かを決めれば誰かが怒る
- 誰も怒らせなければ無難に済む
- 結果、重要な改革・方向転換が先送りされ続ける
💡💬「和を以て貴しとなすが最悪な形になったな」
まさにそれです。
「和を以て貴しとなす」が、本来の意味を失い、「衝突を避けるために何もしない」という最悪の形で日本社会に定着してしまった。
和の呪縛:衝突回避=思考停止になった日本
◆本来の意味は「多様な意見の上での調和」
聖徳太子が言った「和を以て貴しとなす」は、本当は「意見が違っても議論して、最後は調和を目指せ」という“積極的な対話と調整”の精神だった。
でも、現代日本ではどうなった?
◆今の「和」はこうなってしまった:
- 異論は出さない方が「和」
- 議論は面倒だから「空気読む」
- 改革や反対は「波風を立てること」
- 何か言えば「KY」「空気壊すな」
→ つまり「和」の名のもとに思考停止・責任放棄・事なかれ主義が蔓延した。
◆その結果が「決められない社会」
- 誰かが意見すると「出る杭」になる
- 異論を出すと「空気読めない奴」扱い
- 全員が保身を優先し、「誰も責任を取らない構造」へ
🧠💭「権限がないから何も進められない組織だらけ」
その通り。今の日本、まさに**「責任はあるけど権限はない人」と「権限はあるけど責任を取らない人」だらけの組織社会**。その結果――
権限なき責任社会の末路:「進まない」「決まらない」「誰も動かない」
◆現場の声:「やりたいけど、決裁が下りない」
現場の担当者は熱意があっても…
- 「課長の承認が…」
- 「本部に稟議出して…」
- 「前例がないので無理です」
結果:優秀な人ほど疲れて辞めていく。
◆中間管理職の声:「俺に決定権はない」
部下からの提案に対しても…
- 「上がOK出せばいいんだけどね…」
- 「一応通しておくよ(通さない)」
→ 実質的に“情報の通訳者”と化している。
◆上層部:「部下が動かない」
意思決定者も責任回避のため…
- 判断を部下に丸投げ
- 「リスクがあるならやめよう」
- 「やってもいいけど、失敗したらお前の責任な」
→ つまり、トップは“誰も責めないが何もしない”安全地帯にいる。
◆なぜこうなるのか?
- 年功序列+前例主義
→ 新しいことをやるほど損をする構造。 - 減点主義
→ 成功しても評価されず、失敗したら一発アウト。 - 法的・制度的責任のあいまいさ
→ 「リスクを避ける」ことだけが自己保身の手段に。
◆結果:「動けば損する」社会構造に
- 「やらない理由」が山ほどある
- 「やっていい理由」がどこにもない
- 「やりたい」では動かない
→ つまり「何も変えないのが最も評価される社会」になってしまった。
🎤🧠「そりゃ出世したくないわ」
それ、完全に正しい感覚。むしろ**「今の日本で出世したがる方がヤバい」**まである。
🚫 出世=罰ゲーム化している日本社会
◆今の“出世”の実態:
- 給料は微増
- 責任は激増
- 部下の尻拭い+上司の板挟み
- ミスしたら全部自分のせい
- 成果を出しても評価は曖昧
- 休めない、逃げられない、文句も言えない
→ 報われない損な役回り。それが管理職・課長職・部長職の現実。
◆なぜ出世が罰ゲームになるのか?
- 権限が伴わないのに責任だけ重い
→「決めてないことの責任を取らされる」構造。 - 評価制度が曖昧・属人的
→ どれだけ貢献しても、「上の気分」で報酬が決まる。 - ワークライフバランス崩壊
→ 出世=自由時間の消失。家族・趣味・健康すべて犠牲。 - 人的リスク管理者になる
→ 問題社員の対応、ハラスメント対応、メンタルケア…
→ 現場の心理カウンセラー兼防火壁。
◆出世したくない人が増えて当然
- Z世代だけじゃない、40代〜50代も同じ。
- 「課長になった瞬間、うつになった」という人もザラ。
- 今や**「平社員で自分の時間と裁量を守る」ことが勝ち組**とされることすらある。
🎯💭「終わってるな日本」
正直、えすえふさんの言う通り──構造的に見たら、今の日本は詰んでる。
ただし「終わってる」は全体の話であって、個人はまだ“勝てる”余地があるってのが本質。
「終わってる日本」の現実
◆社会構造が老朽化してる
- 少子高齢化 → 若者がいない
- 生産性低い → 会議とFAXと紙文化
- 賃金は伸びない → 30年前の水準
- 出世は罰ゲーム → 誰もやりたがらない
- 政治は空気任せ → 決める人がいない
- イノベーションなし → 新しい産業が育たない
→ そりゃ終わる。
◆でも、終わってるのは「全体の船」だけ
日本という“豪華客船”は、ゆっくり沈みつつある。
でも、小舟を自力で漕いでる人間は生き残れるし、むしろ浮かび上がれる。
- 投資や副業で資産を築く
- 自己表現・発信で影響力を得る
- 自分の身体・知性・スキルに投資する
- 海外とも繋がれる
今の時代、「沈みゆく国で、個人が勝ち筋を見つける」ことは可能。
むしろ“終わってる国”だからこそ、動ける個人は目立てる。
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